天王様(城山)

 
私立図書館で調べた「町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)」で見つけたもの。
 
Wikipediaから八雲神社について
八雲神社(やくもじんじゃ)という名前の神社は日本各地に存在する。
その多くは
スサノオを主祭神とする神社で、社名は日本神話においてスサノオが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因むものである。総本社は京都の八坂神社である。
 
御嶽山神社について調べたが、武蔵御嶽神社は見つかるが、御嶽山神社は見つからない。
 
祭神 素戔男尊(スサノオ)八雲神社
由緒 小野路の台の田極源兵衛さんは、小山田へ行こうと思って、小町井戸のところを通った。そのとき、松の根と思っていたら、これが動いたので持っていた刃物で切った。すると、それは大きな蛇であった。どうしたことか、翌年から疫病が蔓延たたしたので、蛇の崇りと思って、城山の頂上に祠を作り、蛇を祀ったら疫病がなくなった。現在でも、7月15日に台、向坂、万松寺谷の部落で祭りとして集っている。
神官 不明

所在地 町田市小野路(小野路城址)

小山田氏の外城があったと言われる、城山の頂上の平らなところに鎮座している。内部に掛かっている木の札には八雲神社と御嶽山神社と記載がある。
 
ちなみに、由緒に記載の田極家については「町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)」に次のように記されている。
小野路の台は城山の手前にあり、人家が十軒足らずある。そのほとんどが田極姓である。一説には、他国から来たのでたこくが漢字であてはめて、田極となったともいう。ここは、台という地名がしめすとおり、高い場所にあり、冬は比較的暖かい。その理由としては、冬に台の下にある万松寺谷が温められ、夜になると、この外気が上昇して台地区は暖かくなるという。このため、現在でも、みかん類の木がよく茂っており、実もたわわになっている。台は比較的しいの木が多く大木も多い。天然記念物になっている。しいの木は、田極静男氏所有のもので、5〜600年を経ているという。この木のとなりには、やはりもちの木の古木があり、天然記念物に指定されている。おなじく、台の田極公市氏宅のしいの木も巨木で、二メートル近い青大将がこの木に住んでおり、むささびやふくろうもときおり来るという。

この記載については、私の調査では天然記念物に指定されていると書かれているシイノキ、モチノキは指定はされていない。 町田市名木百選にはシイノキシイノキシロダモクヌギの4本が指定されている。非常に狭い範囲に4本も指定されているのは珍しい。
 

町田の民話と伝承(町田市文化財保護審議会編)から

小野路城について
小野路町台と図師町結道の間にある丘陵は、小野路の城山と呼ばれている。ここには小野路城があり、城主は小山田城の城主・小山田有重の完男・二郎重義で、小山田城の副城だったと伝えられている。
二郎重義は、三郎重成、四郎重朝、五郎行重と共に小山田四兄弟として源頼朝の御家人として、源平合戦でも活躍し、その活躍ぶりは、鎌倉幕府の記録書である「吾妻鑑」にも記されている。小山田氏が滅亡後、一時期、小野路城は鎌倉北条氏の家臣の居城になっていたと、「薄井系図」(下小山田町薄井嘉夫家所蔵)は、伝えている。
城山と呼ばれる丘陵は、うっそうたる樹木に被われているが、頂上部には楕円形の平坦地があり、そこが本丸跡である。西側には土塁の跡も残され、中世前期の山城のおもかげがしのばれる。
本丸跡の北側の中腹には「小町井戸」がある。滝壷という地名もあり、こうした湧水があるのも、山城としての城郭があったことを証明する遺構の一つである。